2012年6月4日月曜日

カレイドスコープ 有害オカルトデマゴーグの正体は、ニューエイジ布教者


カレイドスコープ 有害オカルトデマゴーグの正体は、ニューエイジ布教者
カレイドスコープ



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有害オカルトデマゴーグの正体は、ニューエイジ布教者
2012/04/03 01:12

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君には日本から出て行って欲しい

大村京佑のサイトは、社会的に非常に有害なデマブログです。

今日も大村京佑は、一人で発狂しています。

今度は、ゆまぬのブログまで、出してきて、自分に有利なように工作しているようですが、この人、今回の件で何の関係があるの?

ぬまゆさんは、「私は放射能のせいでこうなったとは一言も書いていない」と言明しているのです。彼女は、またまたデマゴーグ、大村京佑に都合のいいように解釈されて迷惑していることでしょう。

大村京佑のサイトをつらつら眺めてみると、もうデマのオンパレード。
滑稽なのは、「ベンジャミン・フルフォード氏が拉致された、拡散、拡散、龍角散〜」とやっていたことです。

この背景を� ��っている人にとっては、大村京佑が、正義の衣を身につけて人々に嘘情報を広めている、おバカな有害オカルトデマゴーグにしか見えないでしょう。

まったく大村京佑の心理状態は理解不能。

分析能力もなし、情報収集能力もなし、洞察力もなし、思考力は停止。頭、かなり悪し。
とうとう大村京佑は、恐怖心から発狂しまったようです。
今日からあなたのことを、大村狂佑と呼ぶことにしよう。

あなたの手法は、誰彼かまわず他のブロガーさんを引き合いに出してきて、一方的に詐欺だとか、捏造だとか、くさすことによって、自分のブロ愚の正当性を際立たせるやり方だ。

情報弱者の判断能力がないことをいいことに、やりたい放題。

社会からはじかれてしまった吹き溜まり信者たちを、 そうしたテクニックを使って拾い上げ、彼らの前に仮想敵を差し出すことによって「京佑たま〜、素敵〜」。

更新記事ではまだ、私に粘着しているようです。男のストーカーはお断り。
大村狂佑の掲示板で、ナンパされたおバカな女性信者さん(複数ハンドルで別人に成りすまし、何度も投稿して狂祐君を擁護しているアナタのことです)、ストーカーされるぞ。

さて、大村京佑の最新記事「パニックまたは現実無視の日本人。恐怖を克服して現実を直視せよ」では、またまたカレイドスコープが書いてもいないことを、勝手に捏造して自分に有利なように運んでいます。

「…僕の発言は2ちゃねらー、井口ブログ、陰謀ブログ一般に向けたものであり、カレイドさんに対してはハッカークームスを� �カマ霊能者と間違え、クームスは実在しないと結論したことを指摘しているに過ぎません。
カレイドさんはそれが見えていない」。

今回も、彼は、私に対して大嘘を書き続けているようです。

「ハッカークームスをオカマ霊能者と間違え」てもいないし、クームスは実在しないと結論した」などしていない。
このことは、「クームス」デマの発信源となったブロガーの詭弁」で事実関係を明らかにして、証明していることでしょうに。

カレイドスコープが書いてもいないことを、あなたは書いたと言っている。
このことは、私のブログを読めば一目瞭然のことでしょうに。書いていないのですから。

であるのに、� �ぜ、大村京佑というチンピラは、そんなに必死になって私が書いたことにしたいのか。それが分らないから私は釈明せよ、と言っているだけ。

なぜ、大村京佑君は毎回、毎回、小学生以下の駄々っ子のように醜い嘘を羅列し、さらに嘘の上塗りをし、醜態を晒し続けるのか。これが謎なのです。

同じく、彼の最新記事の中で、このように書いています。

「これは裁判を意味しているのでしょうか?
しかしカレイドさん、あなたは匿名ですよ。
僕は実名です。
そこは見えていますか?
僕は実名ですから法律の保護の対象ですが、匿名のあなたは法律の保護の対象でしょうか?
裁判をしても、僕が一方的に勝つだけかもしれませんよ。
カレイドさん、とにかく冷静になってくださいね」。< /span>

「僕は実名ですから法律の保護の対象です」
まったく意味不明です。君に知性はあるのか?

私は、これだけの大嘘を連発して人を罠に嵌めるのは犯罪だと言っているのです。
事実、法的にも犯罪成立です。

あなたの最新記事を読むと、かなり冷静さを失っているようです。
自分に非がないという自信があるのであれば、堂々としていればいいのではないの?

それとも、「私がカレイドスコープについて書いたことは、大嘘だらけでした。申し訳ありませんでした」と謝罪する?
どちらでも私は構わない。
君の人生だからです。

君が唯一、誇らしげに「大村京佑は実名だ」と書いているようだが、こんなものが実名だなどと誰が信じるというのか。
それ� �けでなく、私は君が学歴詐称していることを疑う

裁判がどうしたこうしたと? 
またまた、そんなことなど私は一言も書いていない。
これは民事の案件ではない。意味が分かりますか、京祐君?

だから、あなたが言う(民事)裁判などでなく、刑事告発する、と言っているのです。まだ分らないのだろうか。君の頭は、まったく理解できない。

ひとつ、大村京佑君に聞きたい。

「私がクームスが実在しない、と結論付けた」と書いている箇所を抜粋して、あなたのブログに公開せよ。
できないだろうに。そんな記述など存在しないし、私は書いていないからだ。

あなたは、また新たな嘘を書き連ねて、オツムの弱い閲覧者を引き込み、利用しているだけだ� ��

これは、カルトの初期段階に例外なく出てくる現象です。
君のブロ愚はカルト化の一途を辿っている。

大村京佑君にもうひとつ。

「なぜ、大村京佑は、クームスが実在していると考えているのか、それを証明せよ」。

京佑君は「カレイドは、実在しないと結論した」と大嘘を書いている。
もちろん、私のブログを読めば、そんなことなど書いていないことがすぐに分かるでしょうに。

「それを証明せよ」と言ったところで、これも絶対にできないだろうに。
そんな記述など存在しないからですよ。

京佑君は、自分の病的な妄想癖に抗し難いのだろう。つまり、セルフ・コントロールできない人なのですよ。

京� ��君の少ない才能は、真実を追究することには発揮されず、巧妙な詭弁を弄して他のブロガーを次々と中傷するか、罠に嵌めることによって、おバカな信者たちから自分への忠誠心を引き出すことだけに使われているのです。

これも、強烈な自己肯定の念と、病的なナルシズムのなせる業に違いないのでしょう。

「クームス」デマの発信源となったブロガーの詭弁」では、彼自身が書いたことを取り出して、彼の人を罠に嵌める手法を暴露しました。

自分の書き連ねた大嘘の連発について、大村京佑君が、「それは嘘ではなく、事実である」と主張するのであれば、当方は、それでも一向に構わないと言っているのです。私、京佑君のような子供には優しいのですよ。

大村京佑君が� ��議論に値するだけのことを書いているのであれば、当方も議論で返しましょう。
デマ坊やといえども、それなりに真摯に対応もするでしょう。

だから、「あなたに自信があるのなら、それについて釈明なり、主張すればいい」と言っているだけです。
たった、それだけ。
私は、ごくごくシンプルなことを言っているだけです。

しかし、彼の最新記事では、それには一切触れず、相変わらず問題のすり替えを行い、またまた閲覧者を騙しているのですから、私は有害デマゴーグだと言っているのです。

ジョセフ・ティトルに続いて、クームス。その前にも、もうもう妄想オカルトデマ連発。

「デマを拡散したのは、京佑たま〜ではないし。京佑たまは、悪くない〜」。
このように、掲示板に書 き込んで京佑君を擁護している信者たちの知能程度もひどいものだ。

カレイドスコープでは、次第にデマがデマを呼び、実害が生じ始めているから、簡単に鵜呑みにすることなかれ、と呼びかけたのです。

大村京佑君が、「私の書いたことは結果として嘘でした。また、カレイドはじめ、多くのブロガーさんを嵌めたことについて、自分の罪を告白し、ここにお詫びします」と、たった数行書けば、それで終ったのですよ。

にもかかわらず、またまたパニックまたは現実無視の日本人。恐怖を克服して現実を直視せよなどと、タイトルと中身が違う記事を書いて、自分を正当化することだけに躍起となっているから、終らないのです。

第一、日本人は現実を無視などしていないよ。

今回も� ��た、最新記事で大嘘を書かれている身にとっては、それを正すことは義務でしょう。
いつまでも終らせないのは京佑君のほうなのに、信者は、それさえも分らない。

大村氏の記事のほとんどが、他の有力プロがーから、つまみ食いしたものを寄せ集めてシャッフルし、そこから「使えそうな部分を自分の持論として利用している」に過ぎない、"中身が空気のブログ"です。

騙されるのが大好きな、おバカな信者のために、ほんの一例を挙げましょう。

大村京佑君は、「松原照子さん、嘘だったんだよね」の記事の中で、京佑君は、この女性予言者が嘘を書いていると、勝手に決め付けているようです。

その情報の出所は、なんと、彼自身が「デマ発信源」と言っている、2ちゃんね� ��の書き込みなのです。

「改めて検索すると、どうやら2ちゃんねるでは「科学知識と虚言癖を持つ女性」ということで決着しているらしいです。
ちゃねらーのみなさん、ご苦労様」。

自分に都合がいいときは、2ちゃんねるを情報源とし、自分に都合が悪くなると、デマ発信源と一蹴する。これでは、2ちゃんねるもいい迷惑でしょう。

さらに、大村京佑君は、このように書いています。

「ただ僕は詐欺に関する法律を調べたことがあるんだけど、人の誤解を訂正しないこともやっぱり詐欺なんだよね」。

つまり、大村京佑は、2ちゃんねるに書かれてあったことを、自分で確認もしないで鵜呑みにし、この女性予言者が「誤解を訂正しないことも� �的には詐欺である」と断定し、あたかも彼女が詐欺師であるかのように、おバカな閲覧者たちを誘導しているのです。

彼女から訴えられたら、大村に勝ち目はないでしょうに。京佑よ、経済的にもペナルティ食らうぞ。このまま放置だと知らんよ。
こういうことは、君が忘れた頃になってから、突然、ドカンと来るものなのだ。

京佑君が法律をお勉強したところによると、
「誤解を訂正しないのは法律上、詐欺」
ということになるんだそうですよ。

それならカレイドスコープに対して行った数々の大嘘連発行為は、法律上違反どころか、100%詐欺師である、ということになるのです。

それも、「」どころか、完全な嘘の捏造
嘘の上塗りを、まだ続けているのだから、重罪でしょう。

京佑君が法律を勉強したところによると、「大村京佑は詐欺を働く」である、ということになるのです。
だから、私は京祐君の言説にならって、「大村京佑は詐欺だらけ」と断定しているのです。

2012年6月2日土曜日

イスラームの基礎知識




  イスラームの基礎知識
これからイスラームについて知ろうとする方々には当サイトから入手できる本を手にしていただくことを目安にしています。そのため、サイト上では説明を割

愛している箇所があります。よりよく知りたい方は 『イスラーム理解の図解付ガイド』 『イスラームとはなにか?』 を読まれることをおすすめいたします。

転載禁止

00.一番重要なことは?

「唯一の神を信じること」

日本人は、「八百万の神」という言葉に表されるように、山や森の中などの自然や自然現象を神様として崇拝することがよくあります。

そのように複数の神を信じる宗教を多神教と呼びます。

一方、一神教と呼ばれるイスラームでは「唯一の神」を信じ、それ以外の人間や自然、物を神として崇めることはしません。太陽から塵に至るまで、すべてのものを創造し、調和させ、統率している存在がある、そしてそのお方は唯一であると信じています。

偶像を神として崇めることもしません。

人間が作った像は、いくらお金をかけて最高級の材質で作っても、人が祈願する声を聞くことはできないし、人に何もしてくれません。自身についた埃を自分で払うことさえできないのですから。

キリスト教も「一神教」とされていますが、キリスト教では「父なる神」「子なる神(イエス)」「聖霊なる神」の三つの神をまとめて一つの神というそうです (三位一体)。

違いは、イスラームでは神は完全に唯一であることです。

あなたがたの神は唯一の神(アッラー)である。かれの外に神はなく,慈悲あまねく慈愛深き方である。

〔聖クルアーン 2 - アルバカラ章163〕

01.アッラー(swt)

●「アッラー」(または「アッラーフ」)とは、「唯一神」を表すアラビア語です。
イエス・キリストが使っていたアラム語でも、神は「アッラー」のような発音。

●アッラー以外にも99の呼び方があります。

アッ・ラフマーン (慈悲深き)、 アル・アズィーズ (強力な、威力並びなき)、 アル・カリーム (寛大なる)、 
アル・ハック (真理)、 アル・ハミード (称賛される)、 アル・マジード (荘厳なる)、 アル・ハキーム (叡智ある)、 
アッ・ラシード (正しい道に導く方) など

99 Names of Allah by Search Truth

これらは頭に「アブド」(しもべ)をつけて人名にも用いられています

例 アブドッラー (アッラーのしもべ)、アブドッ・ラフマーン(慈悲深き方のしもべ)

●神は唯一で、神と並べて崇拝されるものは何もありません。

言え,「かれはアッラー,唯一なる御方であられる。
アッラーは,自存され,
御産なさらないし,御産れになられたのではない,
かれに比べ得る,何ものもない。」

〔聖クルアーン 112 - 純正章1-4〕

アッラー(swt) (*注) はすべてのものの前に存在し、アッラー(swt)だけが存在しました。

アッラー(swt)は創造されたのでもなく、父母も家族もない。子もいません。

「時」に影響を及ぼされることはありません。時はアッラー(swt)につくられました。過去、現在、未来、永遠に存在。

アッラー(swt)が何かを望むとき、「あれ」と言うだけでそれは在ります。
宇宙のもっとも小さな原子からもっとも大きな物までは彼の意図によって存在、すべてのものを統率されます。

何も彼に似ているものはなく、人間の想像力はアッラー(swt)の概念に達することはできません。

*注"(swt)":"スブハーナフワタアーラ"「至高なる讃えられるべきお方」という意味で、アッラーの名に言及する際に続ける言葉

かれこそは、アッラーであられる。かれの外に神はないのである。かれは幽玄界と現象界を知っておられ、慈悲あまねく慈愛深き御方であられる。

かれこそは、アッラーであられる。かれの外に神はないのである。至高の王者、神聖にして平安の源であり、信仰を管理し、安全を守護なされ、偉力ならびなく全能で、限りなく尊い方であられる。アッラーに讃えあれ。(かれは)人が配するものの上に(高くおられる)。

かれこそは、アッラーであられる。造物の主、造化の主、形態を授ける(主であり)、最も美しい御名はかれの有である。天地の凡てのものは、かれを讃える。本当にかれは偉力ならびなく英明であられる。

〔聖クルアーン 59 - 集合章(アル・ハシュル)章22-24〕

●アッラー(swt)は寛容でたびたび許してくださるお方です。 

「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において」 بسم الله الرحمن الرحيم

クルアーンのほとんどの章がこの言葉で始まっています。
ムスリムは何かしら物事を始める際にこの文句を口にします。

●神は人間への愛にあふれた方です。

どのくらい愛してくださっているかは、
地上にあるものも空にあるものも、あらゆる被造物は神が人間のために用意してくださったものであることからも明らか。

人間をある点では天使よりも優れたものにしてくださいました。 

こんなに多くのものを与えられた人間に課せられているのは、ただ、「アッラーのみを崇める」ということだけ。
しかも、信じていない人たちにもその恵みを享受させてくださっている。

審判の日にも、罪を犯した人間もできるだけ地獄の火から救おうと慈悲をかけてくださるそうです。

次のようなハディース・クドシィー(伝承)があります**************

大地がアッラー(swt)に頼みました
「地上でこんなに悪いことばかりしてあなた様に従わない人間をすべて飲み込んでしま いたいので、そうしてもよいと許しをください」と。

空も、同じことを言って、「人間の上に落ちてもいいという許しをください」と頼んだそう。
でもアッラー(swt)は人間への愛のためにそれを許さなかった。**************

●アッラー(swt)は誰よりも近くにいます

われのしもべたちが,われに就いてあなたに問う時,(言え)

われは本当に(しもべたちの)近くにいる。かれがわれに祈る時はその嘆願の祈りに答える。

〔聖クルアーン 2. 雌牛 (アル・バカラ)章186〕


本当にわれは人間を創った。

そしてその魂が囁くことも知っている。われは(人間の)脛動脈よりも人間に近いのである。

〔聖クルアーン 50. カ―フ章16〕

アッラー(swt) The Conditions of Laa Ilaaha Illallah 翻訳中
The Conditions of Laa Ilaaha Illallah 

02.ムハンマド

●モハメット?
ムハンマド(saw)*注 と同じ。
それは英語表記 Mohamet に由来しているものですが、最近では英語でも Muhammad,Muhammed と書かれることが多いです。

*注 "(saw)":"彼に平安がありますように"
ムスリムが預言者ムハンマドの名に言及する際に続ける言葉

●預言者の封印

神によって遣わされた数多くの預言者のうち、最後の預言者です。

神でも神の子でもありません。

●誕生、子ども時代

預言者イブラーヒーム(アブラハム)の長男、イスマーイール(イシマエル)の家系です。

マッカ(メッカ)に生まれたとき、父親はすでに亡くなっていました。母親もまだ幼少だったときに亡くなったため、祖父に育てられ、祖父の死後は伯父にひきとられました。

●預言者として召命

25歳くらいで結婚した後は商人として成功し、妻ハディージャ(ra)と幸せな家庭を築きました。

二人の間に授かった子どものうち、息子は幼いうちに亡くなりましたが、四人の娘は成人しました。

40歳くらいの頃、ムハンマド(saw)はよく洞窟で瞑想することがありましたが、突然、大天使ジブリール(ガブリエル)を通じて啓示が下りました(西暦610年)。

これがその時下された啓示です。

読め,「創造なされる御方,あなたの主の御名において。

一凝血から,人間を創られた。」

読め,「あなたの主は,最高の尊貴であられ,

筆によって(書くことを)教えられた御方。

人間に未知なることを教えられた御方である。」

〔聖クルアーン 96. 凝血 (アル・アラク)章1-5〕

初めて啓示を授かった 《ヒラーの洞窟》

Islamic Picture Gallery (

それはムハンマド(saw)にとってたいへん恐ろしい体験でした。
自分に何が起こったのか分からず動揺し、慌てて家に帰ると、妻ハディージャ(ra)に起こった事を話しました。

ハディージャ(ra)は正直な夫の言葉を信じ、従兄弟でキリスト教徒であるワラカ・ブン・ナウファルのところへ行きました。

ワラカはムハンマド(saw)の体験を知ると、「それは天使ガブリエルである」と教え、
「あなたは、以前の預言者がそうであったように、追放されるでしょう。わたしがもっと若かったなら、あなたを支え助けるのだが!」と言いました。
ワラカは年老いていたので、間もなく亡くなり、ムハンマド(saw)の布教を見守ることは叶いませんでした。

2012年5月31日木曜日

牧野力「バートランド・ラッセルの不可知論」 - バートランド・ラッセルのページ



牧野力「バートランド・ラッセルの不可知論」
『(早稲田大学政治経済学部)教養諸学研究』n.58/59/61合併号(1979年3月)pp.21-38.

*(故)牧野力氏:当時早稲田大学政経学部教授、ラッセル協会理事


 まえがき
 バートランド・ラッセルの宗教論の性格や体質について,本誌54号で,「バートランド・ラッセルの宗教論」として触れた。
 今回は,彼の宗教観の原点の一部になっている「不可知論」について,伝統的な既成宗教との対比において,改めて考えてみたい。

 1.ラッセルの「不可知論」

 彼は,『自叙伝』にこう書いている。

 第一次大戦における反戦運動の故に,彼はブリックストンの刑務所に入れられた時,監守から,'お前の宗教は?'と訊ねられた。'不可知論者(agnostic)'と答えた。ところが,その監守には意味が通じなかったらしく,'何?'と訊ね直されて,突さに,'無神論者'と答えたそうだ。以来,彼は,哲学的教養のある人には,'agnostic'と,また,そうでないらしい人には,'無神論者'と答えることにしている,と彼は書いている。*1 (ここに,ラッセルを,'理屈が達者で神の存在を否定する冷血漢'と批評する背景のひとつがあるのかも知れない。)(本論文最後に参照文献1として『ラッセルは語る』があげられているが、これは『自叙伝』の書き間違えと思われる。また、監守に'agnostic と返事したところ、監守は「まあなんというか、宗教はたくさんありますけど、全ての宗教が同一の神を拝んでいると、私は思いますね」と応えたので約一週間愉快だったとラッセルは書いているが、「尋ね直されて'無神論者'と答えたとは、『自叙伝』には書かれていない。不可知論者と無神論者との使い分けは別のところで述べているものであり、牧野氏の記憶違いと思われる。)
 ここで,ラッセルの伝記的な点にふれることはなるべく避けたい。〔紙数の面からだけでなく,彼の『自叙伝』は,*2'他の著者に見られない正直な赤裸々な記述'という点でも有名であるので,読者自ら彼の筆致に触れることをおすすめしたいからである。〕
 ラッセルは2才で母に,4才で父と死別した。厳格で信仰の深い祖母とビクトリア女王の治世に2回首相を勤め,女王の信任の厚かった進歩的政治家である祖父ジョン・ラッセルの許に兄と(一緒に)引きとられて,育てられた(右写真(祖父の屋敷 Pembroke Lodge)出典:R. Clark's Bertrand russell and His World, 1981)。家族や雇い人たちは皆,彼を親切に扱ってくれたが,所詮,大人ばかりの世界である。成育するにつれ,健康で活発で敏感な彼は広い邸宅の中で,この世にいない両親をあれこれと想像しながら,孤独な思いと戦っていた。何かたよりになるものが常に欲しかったのではあるまいか。祖母と祖父とは勿論,叔父・叔母たちの彼に注ぐ愛情に不足を感じていたわけではなかったが,'確実なるもの'への瞳れは強かった。思考力に恵まれた彼は,それを幼い頃,兄に幾何学の手ほどきを学ぶ時に(受けた時に),自覚した。彼の思索は続いた。思春期の頃,その記録が,『ギリシア語練習帳』の行間にとどめられて,今日まで残っている。語学自習の帳面の行間に記入された理由は,祖母や大人の眼から逃れ,思索を続けたかったからであるらしい。ケ ンブリッジ大学では,数学と哲学とを専攻した。そして,数理哲学,認識論,論理学に学問的成果を残し,分析哲学の雄となった。しかし,別な面もあった。
 人間にとって,教育とは何か,という彼の教育論を生み出す背景として,「躾け」についての体験を重ねていた。そして,ビーコン・ヒル・スクールという私立の学校を経営した頃,3才の女児のお臀(排便)の癖をつける上で,自ら面倒をみて,母親と連絡を欠さなかった面もあった。97才の波欄に富んだ生涯を,一筋に貫くある心情にふれる意味で,彼が『自叙伝』の〔まえがき〕に書いた部分を引用しておく。
まえがき 私は何のために生きてきたか。

 私の人生を支配してきたのは,単純ではあるが,圧倒的に強い三つの情熱である。愛への熱望,知識への探求,それから人類の苦悩を見るにしのびず,そのために注ぐ無限の同情である。〔中略〕
 愛と知識は,その可能なる限りでは,高く天国に達した。しかし,いつも憐憫の情が私を地上に引き戻した。苦悶の叫びが反響して,私の胸に響くのである。〔中略〕〔注,下線は筆者〕
 私はこの社会悪を滅したいと切望する。しかし,私には出来ない。そして,私もまた苦悶する。
 これが私の人生である。私はこの人生を生きるに値いする人生だと思っている。そして,もしもチャンスを与えられるならば,もう一度喜んでこの人生を生きようと思う。」


 最後の「この人生を生きるに値いする人生だと思っている。もう一度喜んでこの人生を生きようと思う。」というくだりに,ラッセルの肯定的人生観,苦悶の叫びに逃避しない勇気,人間であることを貫く決意を,筆者は深く感ずる。これが彼の人間主義(Humanism)の根底にあって,『自由人の信仰』*3の母胎ともなっている。また彼を,明知(Open Minds)と共感(0pen Hearts)と勇気(Courage)のある人生を人間相互に望む求道者たらしめた背景であるまいか,と思う。
 読者諸賢も,ラッセルが'神の存在'について知的論証を試み,神は人間に不可知であると説いても,彼を唯の理屈屋とは解しないと思う。
 サテ,彼は,どのようにして,人間には神の存在が証明できないから不可知だ,というのであろうか。
 彼は神は存在しないとも,存在するとも言わない。今迄行われた存在するという証明法はどれも,証明になっていないと言うのである。(人間に今後も証明できそうもないのなら,また,承知の上で盲信するなら別だが)人間は人間らしく,本性を自覚し,伸長し,有限な存在として,よく考え,理解し合い,勇気をふるって,協力する社会に生きようと,言うのである。
 これが若い頃書き,晩年も肯定していた『自 由人の信仰』の本旨である。

 ラッセルの不可知論を代表する(神の存在の)5つの証明法の要旨を次に引用したい。*4
 先づ,「カトリック教会が,神の存在は理性の力だけで証明できると教義の中で規定している。」ことに一般の注意を喚起する。
 神の存在は(啓示の)助けを得ない理性によって証明できると言ういくつかの証明の中から,5つをとって,(それらなみな)証明にならない,と説く。

 @ 第一原因という証明法(The First Cause Argument)
 われわれがこの世の中で見るあらゆるものに原因があり,その原因の連鎖をどんどんさかのぼっていけば,第一の原因にたどりつかねばならなくなり,その「第一原因」に'神'の名を与えるという最も単純で最もわかり易い証明法がある。しかし,もしあらゆるものが原因を持たねばならないとするならば,神にも原因がなければならなくなる。もし原因なしに,何かが存在することができるとなるならば,神と同じように,世界であってもよいことになる。そもそも世界に始まりがなければならない,という考えは,本当はわれわれの貧弱な想像力から出てくるのである。第一原因が必要でそれに神の名をつけることの証明にこれ以上時問を使う必要はない。

2012年5月19日土曜日

エルサレム会議


 使徒言行録(使徒行伝・使徒の働き)の15章に、有名な「エルサレム会議」の記事が掲載されています。

 アジアないしヨーロッパ地域を伝道するパウロとバルナバは、必然的に、ユダヤから見れば外国人、つまり異邦人に伝道するという問題を抱えていました。

 まだキリスト教という宗教が成立しているわけではありません。あくまでユダヤ人のユダヤ教の一派として、ユダヤ人たちが待ち望んでいたメシアがここに現れた、ということの証言のために奔走していた彼らです。異邦人、つまりユダヤ教の地盤をもたない人々に福音を伝えたとき、思いも寄らない問題が生じました。

 まず、そもそも異邦人が救いに与ることができるのかどうか、という問題。これは、パウロは当然できるという立場でスタートしていましたが、イエスの一番弟子たるペトロは最初懐疑的でした。それが、主から直に幻を見せてもらうことによって、異邦人も救われることを納得して、態勢は整いました。異邦人にも伝道して、よいのです。

 けれども、ユダヤ人はすべて割礼を受けています。男性性器の包皮を生まれて間もなく切除するという習慣。衛生的な理由もあるそうですが、ユダヤではとにかく宗教的な理由でこれが伝統的になされてきました。イエスを信じる、つまりユダヤ人の信じていた救いを身に受けるとなると、割礼なしにユダヤ人になることが不可能と、これまでずっと考えられていたために、問題とする人々が現れました。


ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。

(使徒言行録15:1,新共同訳聖書-日本聖書協会)

2012年5月17日木曜日

暦の話題


暦の月名の由来や月の日数はなぜ30日と31日にきまったのであろうか.2月だけ28日なのは?
その説明をするには,現在我々が使っている暦「グレゴリオ暦」のもとになった,古代ローマの暦の話から始めなければならない.
ロムルス暦

1月

  Martius

31日

2月

  Aprilis

30日

3月

  Maius

31日

4月

  Junius

30日

5月

  Quintilis

31日

6月

  Sextilis

30日

7月

  September

30日

8月

  October

31日

9月

  November

30日

10月

  December

30日

11月

・・・・・・・・・・・・

12月

・・・・・・・・・・・・

1年

・・・・・・・・・・・・

304日

古代ローマで,はじめて暦がつくられたのは紀元前8世紀で,前753年にローマ建国の祖といわれるロムルス(Romulus)により作られた.これをロムルス暦という.
当時のローマ人たちの生活というのは,農耕面でも軍事面でも,活動を始めるのは,暖かくなる季節,すなわち現在の3月ごろからであったらしい.11月,12月は寒さも厳しく,まさに冬ごもり期で,名付ける価値も無い名無し月の日々だったのであろう.
現在の3月を一年の初めとしたのであれば,5月がラテン語の「quinque」,6月が「sex」,7月が「septem」に由来していることがわかる.また,8月は,ラテン・ギリシャ語の「oct」,9月は「novem」で,10月はラテン語の「decem」からつけられた.
第1月から第4月までは,ローマ神話 の神々の名にちなんでつけられた.第1月は戦いの軍神マルス(Mars)を称え,第2月は春と美の女神アプロディーテー(Aphrodite)を,第3月は豊饒の神マイア(Maia)を賛美し,第4月は母なる結婚の神ユノー(Juno)にささげる月として名付けられた.
では,現在使われているSeptember,October,November,Decemberは2ヵ月ずれているのであろうか.
グレゴリオ暦の生みの親に当たるロムルス暦は,冬の酷寒の頃に日付が無いため,春になって第1月を始めるに当たって月の満ち欠けを基準にするとしても,春の嵐や豪雨が続けば,まったく目安がつかない.大切な主要行事に狂いが生じてきて,不便であった.
 

ヌマ暦

1月

  Martius

31日

2月

  Aprilis

29日

3月

  Maius

31日

4月

  Junius

2012年5月16日水曜日

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2012年5月14日月曜日

ラマダン


今年(2007年)もラマダンが近づいてきました。

ラマダンとはイスラム暦(ヒジュラ暦)の第9番目の月でイスラム教徒にとって「断食月」とされています。ラマダンが断食の月であることからラマダンを断食の意味で使うことが多いようですが正確には月の名前です。今年(2007年)のラマダンは西暦の9月13日(予定)から始まります。

イスラム暦(ヒジュラ暦):

イスラム暦は純粋な太陰暦で、預言者ムハンマド(マホメット)がメッカからメディナへ聖遷(アラビア語でヒジュラ)した年、西暦622年を紀元の始まりとするものです。今年(2007年)は1428年になります。(西暦622年7月16日前日日没をイスラム暦の元年3月2日として計算しているようです)

月の満ち欠けを基準にした「朔望月」を1ヶ月として、12ヶ月で1年とします。朔は新月、望は満月を表しています。朔望月は平均して29.53059日ですので1年は354日か355日になります。そのため太陽暦(季節)に対して毎年11日ほど早くなっていき暦と実際の季節がずれていきます。

原則として、奇数月を30日、偶数月を29日にして1年を354日にしていますがイスラム暦の年数を30で割った余りが2,5,7,10,13,16,18,21,24,26,29となる年を閏年として12月(偶数月)を30日にし、1年が355日になります。