僕たちは今、Epping に住んでいますが、そこに引っ越す前は Epping から南へ25キロほどのところにある Riverwood というところに住んでいました。
僕の勤め先は Epping のほぼとなりのサバーブの Marsfield というところです。
今では天気が良くて、体の調子も良くて、時間があって、さらに気が向いたときには:)歩いて通勤していますが、Riverwood に住んでいた時には25キロを車で片道40分から交通渋滞のひどいときには1時間半ほどかけて通っていました。
もっとも車の中で聖書を聴いたり──聖書を朗読したテープやCDが売っていますね──メッセージのテープを聴いたりすることができて、聖書を学ぶちょうど良い機会となっていました。
さて、あるとき Lane Cove Road を南へと車で向かっている時、左手に教会堂らしい建物があることに気がつきました。
教会堂らしいといっても古めかしいタイプの建物ではなくてモダンな、しかしそれでもなんだか教会堂らしいというような建物でした。
そして教会堂の外には道路からよく見えるように看板がおいてあって、よくアングリカンの教会堂でも見かけるのですが、目を引きやすい短いキャッチフレーズが掲げてあります。
例えば
「一度しか生まれないものは2度死ぬ、2度生まれたものは一度しか死なない。」
というような感じですね。
そこの教会では、こういうフレーズを掲げていました。
「イエスは土曜日に教会に行きました。だから私たちも土曜日に教会に行きます。」
僕は運転中にそのフレーズを読んだのですが、前の車が近づいているのに、思わずブレーキを踏み損ないそうになってしまいました。
まあ、事故にはならなかったのですが、後で調べたところ、そこはいわゆるセブンスデー・アドベンチストに属する教会だったようです。
僕はこのグループについては全然知らなかったのですが、セブンスデー・アドベンチストの日本語のウェブサイトで、彼らの信条を見てみました。
そこには「セブンスデー・アドベンチスト教団は『聖書主義に立つキリスト教・プロテスタントの教会』です」とありました。
私たちも聖書を基礎とする、キリストの教えに習う者たちですね。
なるほど、それなら私たちと同じ理解をしそうですが、セブンスデー・アドベンチストによると「教会は、聖書の教えに従い、週の第七日を安息日として遵守する」とありました。
週の第七日とはすなわち、土曜日のことです。
例えばもし世界中からランダムに旧約聖書と新約聖書を合わせた聖書は人のメッセージではなく、神が人に与えた神のメッセージだと信じます、という人を10人集めたとしたら、どうなるでしょうか。
おそらく十人が十人ともいろいろな細かなことについて、もしかしたら大きなことについても、他の人とは少しずつ違う解釈の仕方をしていると思います。
ですが、 それはなにも不思議なことではないと思います。
文化の違いによって、経験の違いによって、感じ方の違いによって、知識の違いによって、私たちは同じ言葉を与えられても、受け取り方、解釈の仕方が違ってしまうからです。
問題は、それでは違う解釈をしたときに、どうするか、ということです。
ある人たちは、聖霊が働いて違う人たちに違う解釈を与えたのだから、人それぞれが同じ言葉を受け取って、感じるように理解すればよい、と考えます。
しかし、聖書自体が、第一コリント人への手紙1章10節ですが、聖書を信じる人たちが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保つようにと教えています。
聖書は自分の好きなように解釈すればよい、ということは決してありません。
ペテロはパウロの書いた手紙について次のように言いました。
また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。─このこと、とは「主の忍耐は救いである」ということです─その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
第二ペテロの手紙3章15節と16節(新改訳聖書)
「主の忍耐は救いである」とは、神が未だ審判の日をもたらしていないのは、まだ救われていない人たちを救うためです、ということです。
この箇所で ペテロはパウロが神から知恵を与えられて手紙を書いた事を認めています。
「その手紙の中には理解しにくいところもあります」と言われています。もし、 聖書の言葉が理解しにくい、と思ったら安心してください。どうやら 使徒ペテロでさえ、パウロの手紙──すなわち聖書の一部──には理解しにくいところがあることを言っています。
「 無知な」とは新共同訳聖書では「無学な」と訳されています。
すなわち、神の言葉を学ぼうとしない人たちのことです。
そのような人たちは、自分で学ぼうとせずに、ある一人の先生と呼ばれるような人が言ったことに同意したかと思えば、すぐに別の先生と呼ばれるような人が言った違うことに同意したりして、心が定まっていません。
結果、聖書の箇所を読んで、自分の好きなように解釈し、本当の神の教えを知ろうとせずに、自分自身に滅びを招いています。
聖書を読んで、神が本当にこの箇所でなにを言っているのか、自分の好きなように、ではなく、著者の意図していることはなんであるのかを理解しようと努めることは、聖書を神の言葉であると信じるすべての人たちに必要なことであると、僕は思います。
さて、週の初めの日は実は何曜日なのでしょうか?
一週間は実は日曜日から始まります。
週の第七日の安息日とは土曜日のことです。
正確には私たちが金曜日と呼んでいる日の日没から土曜日の日没までです。
なぜなら旧約聖書、そしてユダヤの人たちの一日は日没から始まり日没に終わるからです。
ところが多くの人は普通、安息日は日曜日のことだと考えています。
それは初期のクリスチャンたちが土曜日ではなくイエスの復活した日曜日に定期的に集まるようになったからです。
使徒のはたらき20章7節には弟子たちが週の初めの日、すなわち日曜日にパンを裂くために、すなわち私たちのいう聖餐式のために集まった、とあります。
安息日とは普通、一週間に一日、仕事をしないで休むことを意味しますが、その教えは考えてみれば素晴らしい教えです。
もちろん、偽ってはならない、殺してはならない、盗んではならない、というような教えも良い教えで、そのような教えを守ることは結局、自分の最善となることですが、安息日を守って、その日は仕事を止めて体を休めなさい、という教えはまさに直接、自分が安らいで憩うための教えに他なりません。
僕の父は─そしておそらく今でもそうだと思うのですが─大変な勤勉家でした。
毎朝、5時半に僕と弟は起こされて父と聖書の学びをしました。
朝食を終えて6時半にはもう家を出て、1時間半かけて仕事場へ向かいます。
夜帰ってくるのは10時頃だったと思います。
僕たちが小中学生の時には土曜日は家にいて文書の翻訳などの仕事をして、午後には2時間くらい卓球を一緒にしてくれるのが楽しみでしたが、僕たちが高校生のころは土曜日も職場にいたようです。
日曜日の朝はもちろん教会に行きますが、日曜の午後そのまま職場に行くことも少なくありませんでした。
もちろん、それだけ働いてくれた父がいたおかげで、食べる物も着る物も住むところも教育のための費用ももなんの心配もせずに十分に与えられて育ったわけですが、やはり一言、言わせていただけるなら、一週間に一日くらい全く仕事をせずに夫婦で、家族で、休める日があったらよかったのではと、今では思うのです。