ラマダン
今年(2007年)もラマダンが近づいてきました。
ラマダンとはイスラム暦(ヒジュラ暦)の第9番目の月でイスラム教徒にとって「断食月」とされています。ラマダンが断食の月であることからラマダンを断食の意味で使うことが多いようですが正確には月の名前です。今年(2007年)のラマダンは西暦の9月13日(予定)から始まります。
イスラム暦(ヒジュラ暦):
イスラム暦は純粋な太陰暦で、預言者ムハンマド(マホメット)がメッカからメディナへ聖遷(アラビア語でヒジュラ)した年、西暦622年を紀元の始まりとするものです。今年(2007年)は1428年になります。(西暦622年7月16日前日日没をイスラム暦の元年3月2日として計算しているようです)
月の満ち欠けを基準にした「朔望月」を1ヶ月として、12ヶ月で1年とします。朔は新月、望は満月を表しています。朔望月は平均して29.53059日ですので1年は354日か355日になります。そのため太陽暦(季節)に対して毎年11日ほど早くなっていき暦と実際の季節がずれていきます。
原則として、奇数月を30日、偶数月を29日にして1年を354日にしていますがイスラム暦の年数を30で割った余りが2,5,7,10,13,16,18,21,24,26,29となる年を閏年として12月(偶数月)を30日にし、1年が355日になります。
イエスは地獄に降りました
月の始まりは「朔の後初めて西の空に月が見えた日」と定められているため、シャアバーン(ラマダンの前の月)の月末になると、新月の後月が見えるか見えないかは世界中のモスレム(イスラム教徒)の最大の関心事になります。同じイスラム暦を使っていても地域や月を観測する宗教学者、天候状態によって月が見えないこともあるので国によってラマダンの始まる日が違ったりします。今年のラマダンは9月13日(予定)としたのはこのためです。ただし月が見えなくてもその月が始まって30日経てば次の月になります。
一日の始まりは日没ですので今日(日中)の始まりは前日の日没と言うことになります。
このようにラマダンの開始日、最終日は月が見えるか見えないかで決まるので私がサウジに滞在中も暦と違ったりすることが何度かありました。何年か前に暦よりも一日早くラマダンが明けたのを知らないで会社に遅刻したこともありました。
ラマダン中の生活:
ラマダンに入ると我々のようなノンモスレム(イスラム教徒以外の人)でも勤務時間や生活が一変しますので、私はラマダンに入ったか入らないかをサウジ人の同僚に電話で連絡してくれるように頼んでいました。
ラ� �ダンの一ヶ月間イスラム教徒は日の出から日没まで食べ物や飲み物、煙草など一切口にしませんし、いかなる相手との性的行為も禁じられているそうです。いかなる相手といっても不義密通が死刑の国では奥さんしか相手はいないと思うのですが。
ロッシュhashanaは何曜日ですか?
ラマダンが近づくと町ではあちらこちらにイルミネーションが飾られ、スーパーでは食料品の特売コーナーが出来ラマダンを祝います。人々は「ラマダーン・かリーム」と言ってお祝いの挨拶を交わします。新聞などにも「ラマダーン・カリーム」の広告がたくさん載り国中でお祝いをします。「メリークリスマス」や「明けましておめでとう」と言った感じです。
役所も会社も勤務時間が短縮され朝9時か10時から午後3時頃までとなります。学校の授業時間や病院の診療時間も全て変わります。ですからラマダン中は仕事の能率は極端に落ちますが何よりも宗教行事が優先される国ですので異教徒がとやかく言う問題ではありません。
サウジに赴任して� �もない日本人の中には「ただでさえ働かない人間がラマダン中は全く仕事にならない」といらつきを見せる人もいますがサウジの人々は仕事より断食を守るほうが自分の人生にとって大事だと考えているのです。会社の利益や仕事の能率を最優先する人達と話がかみ合うわけがありません。
異教徒は断食をする必要はありませんが公共の場所やモスレムのいるところでは飲食しないようにお達しが出て、もし飲食(喫煙も)が見つかると宗教警察に通報され連行されることもあります。
イスラム教徒は、彼らの頭をカバーした理由
私は、事務所でついうっかりして水やお茶を飲んだりするといけないので、事務所の中のティーカップやグラス類は全て片付けておくようにしていました。どうしても喉が渇いて飲みたいときは家に帰って飲んでいました。事務所のドアを閉めて鍵をかけ、見つからないように御茶やタバコを吸う人達もいます。アラブ人達は日本人が飲食をしているのを知っていますが人前でやらなければ何も言いません。
町のレストランや飲食店は日中は全て閉まっていて日没後でなければ開きません。
日没が近づくとあちらこちらの家から食事の準備の美味しいにおいが流れてきます。親戚や親しい家になどに食事を運ぶメイドも目にします。日没にな� ��たらすぐに食べられるように準備をしているようです。
日没、日の出の知らせは今はテレビ、ラジオの時報やモスクのスピーカーで知らせていますが、カフジでは数年前まで昔ながらの大砲(空砲)で知らせていました。
私の事務所がカフジで一番高い所に在ったためラマダンになると事務所の前に大砲が据えられ、毎日係官が車で空砲を鳴らしに来るのです。何せ町中に響き渡る音ですので近くに居ると鼓膜が破れそうでした。係官は日没の空砲を鳴らす前に、車のボンネットの上に食べ物を並べすぐに食べられるように準備をします。そして空砲を鳴らすとすぐに食べ物を口にします。その間およそ2,3秒です。
夜のお祭り:
太陽が沈むと人々は一日の断食から解放されお祭り騒ぎとなります。日没直後こそ断食明けの食事(イフタール)とお祈りで町は人通りがなくなりひっそりとしますが、それが終われば町は電飾で色とりどりに飾られ、お店も人々で大賑わいとなります。
レストランやショッピングセンターは深夜まで開いていますし銀行も営業しています。家にいる人達も日本の正月のように特別の料理を作り深夜まで騒いでいます。酒も飲まずによくあれだけ騒げるものだと思います。子供たちも例外ではなくラマダン中は親公認で深夜まで騒いでいます。
ラマダンが始まり十日ほど(何日だったか思い出せません)経つと、夜近所の子供たち(小学生低学年から幼児位)が数人づつグループに� �って首から袋を提げて家々を回りお菓子を貰いにきます。
普段は憎たらしいガキ供ですがこのときばかりは可愛くてこの時期になるとお菓子を準備して待っていました。一度あげると皆で噂するのか一晩に何グループも来て参った年もありました。このような夜が2,3日続きます。日本にいるエジプト人にこの話をしたらエジプトにはこのような習慣はないそうですのでカフジだけの習慣かもしれません。
断食月と言っても夜はこのように普段よりいっぱい食べますので太る人も多いようです。また食料品の売り上げも一年中でラマダンが1番多いと聞いています。
一ヶ月間の断食が終了するとラマダン明けの祭り「イード・ル・フィトル」になりますがこの話はまたの機会に。
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