大和光紀: 地獄に落ちる人
これまで地獄に落ちる人について述べてきました
まさか、こんなことで地獄に落ちるとは・・・と驚いた人がいるかもしれません
しかし、これが事実です
そして、この驚くべき事実を知らない人は世の中にはたくさんいます
知っていても認めない人も大勢いるでしょう
さらに言えば地獄の存在さえ否定する人もいるでしょう
何の根拠もなく・・・
しかし私は知っています
彼らが地獄の存在を否定する理由を
それは、もし地獄なるものがあるのなら
自分は間違いなく地獄におちるだろうと
自分で思っているからです
一応、外見上は笑い飛ばして、全く気にしていないように振舞っていますが
内心ではおびえているのを私は知っています
それゆえに、心情的にそんなことはいやだから
地獄はないと思いたいのです
そして、何の証拠もないのに地獄はないといっているのです
一方で、地獄があると主張する人は
霊能者であったり、
地獄が実際にあることを人間に伝える役目をもって
肉体をもった者なので、その使命に基づいて
実際に霊界旅行をしてきた人たちなのです
(有名な人はスウェーデンボルグやダンテ、日本では源信)
さて、今日伝えたいのは、地獄があるかないかという
地球は丸いか平べったいかというような
カルマは何ですか?
わかっている人にはわかりきっていることではありません
地獄におちない方法をあなたに伝えたいと思います
自分では道徳には反していないと思っていたのに
地獄に落ちうるといわれて
「それじゃー、ほとんどの人が地獄行きじゃないか」
と不安に思った人、不満に思った人、安心してください
神は無慈悲で意地悪な存在ではありません
ちゃんと、地獄に落ちない方法を用意し
それを人間に昔から教えてくれています
ただ、人間の方で、それを軽んじていますが・・・
それは、反省することです
反省?
そんなことで地獄におちない?
あまりにも安直で、ばかばかしいと思ったかもしれません
今では、反省という言葉はわりと軽く見られています
その本当の力、効果を人間が忘れてしまったからです
反省は人間が正しく生活するようにということで
教育者が主張している言葉にすぎない
と、思っている人がほとんどでしょう
しかし、私は今、明確に伝えます
本当の反省ができたなら 罪は許される と
心からの反省ができたならば
たとえ、連続殺人を犯していても地獄に落ちることはありません
聖霊は今この場所で歓迎されている
人間の世界では心からの反省ができていても死刑にはなりますが
死後、地獄に落ちることはないのです
ここで、重要なことは
「心からの」という言葉です
この「心からの反省」はそう簡単にはできません
地獄に落ちるのがイヤなので
「心からの反省」をしているつもりの人は少なからず存在します
しかし、その反省は
"地獄に落ちるのがいやだから" という動機から行なわれている
そんなことは、神にはお見通しなのです
神は、全てお見通しです
ゆえに心からの反省はかなり難しいです
しかし、その心からの反省が出来たとき
神は、あなたが犯した罪を許してくれます
神は寛大です
心から反省して詫びているものを
さらに地獄に落として苦しめよう、罰を与えようとは全く思っていません
人間は誤解していますが
地獄は罰を与える目的で作られたのではありません
地獄は、自分の誤りを自覚させるための場所として存在しているのです
それゆえ、自分と同じ欠点を持ったものばかりが集まっています
そして、自分のまわりのものを見て自分の欠点に気づくようになっているのです
結果として、苦しい世界が展開し
私は私をstrenghtens人の神を介してすべてのことを行うことができます
外からみればいかにも罰が与えられているとみえているわけです
たかが反省するだけで極悪な人間が罪を許され地獄にも落ちないという
私の言葉にまだ納得できない人は多いでしょう
ここで、あなたは認識しておくべきことがあります
極悪な人間は心からの反省をすることがまずありません
彼らは、普通の人ならば万人が
「どう考えても、おまえが悪いよ」という事柄でも
自分が悪かったとは、全く思っていません
全くといっていいほど反省していません
それゆえ、自分が悪かったことがわかるまで
自分と同じ罪を犯したものが集まる世界に送られます
もし、あなたの知り合いで、道にゴミをすてても全く平気な人がいて
そのことを注意されても全く反省しないでぽっくり死んだならば
そのひとは、道にゴミを捨てても全く平気な人が集まる世界に行きます
そこは、極めて汚い世界です
ゴミの世界です
まさに、ゴミ地獄といえるでしょう
その人がそのゴミ地獄から抜け出すためには
自分が生きていたときに、平気で道にゴミを捨てていたことを
心から反省するまで、その人はゴミ地獄にいることになります
造物主は、霊が肉体に宿るとき
高度な判断に基づいて
霊界にいたときの霊の記憶を消しその能力も一時封印しました
それゆえに
肉体に入った霊が、その肉体を維持するために悪を行なうことは当然あるだろう
と考えられ、人間への慈悲として
人間が悪を行なったならば反省することでその罪を許すという
システムを作られました
そして、そのことを大宗教家を通じて、人間に伝えてきました
しかし、時がたつにつれ、反省の真の意味を理解する人が少なくなり
現在に至っています
今日は反省のもつ本当の力について述べました
キリスト教では悔い改めという言葉を使っていますが
日本神道も含めて正しい宗教が反省を説くのは
ここに理由があります
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